2014年04月24日

飛鳥白鳳の美!古墳と寺の謎−「特別展 キトラ古墳壁画」レポート−

東博で開催の「特別展 キトラ古墳壁画」報道内覧会へ行ってきました。
(写真は特別な許可を得て撮影。会期中は撮影不可です)

かねてよりテレビや新聞雑誌でも話題ですが、やはり実物の存在感はケタ違いでしたね〜。これは生で見たほうがいいと思います!

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はっきりとは言ってないけど、都内展示は実質的にこれが最後みたいです

壁画の詳細と、キトラ古墳そのものの疑問も解けたのでそのへん中心にレポートします!

1.現代人をも魅了する「フニャ線」

キトラ古墳の石棺内部は漆喰が塗られてその上に壁画が描かれています。
南面に朱雀、西面に白虎、北面に玄武、東面に青竜という「四神」が配され、その配下に十二支が描かれる。
天井面には星図が描かれ、当時の宇宙観と死者への弔いのかたちがわかります。

ま、そういった説明は現場で丁寧になされてるので、ここではさらっと流しますね。

これらの壁画は、7世紀末から8世紀初頭というから、国内最古級の絵画と言えます。
同時代の絵画は、おとなりの高松塚古墳壁画や、法隆寺金堂壁画がある。大学で東洋美術史を学んだとき、この時代の絵画の特徴は、「鉄線描」と言われる線にあると習いました。太さの抑揚がない、硬質な線による描き方です。
参考:「飛天」奈良文化財研究所・飛鳥資料館

そこいくと、キトラ古墳の画は少しちがう。白虎の絵なんかよーく見ると、ふにゃっとした線が見られます。それがまた人間的な温かみを感じて、親しみがもてますね。

博多に行って、バリカタの豚骨ラーメンもいいけど、じつはフニャ麺のうどんがおいしい。そんな感じ伝わるでしょうか。つたわれぇ〜(祈)

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白虎図。狭い石室で、画工さんが汗水たらし一生懸命描いてたのかと思うとグッときます!


2.東西比較! 石棺壁画 vs フレスコ画

また、漆喰に描く壁画の技法で私たちになじみあるのが「フレスコ画」ではないかと。
フレスコ画って、ほら、これですよ。見たことあるでしょ。

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あのスペインのおばさんのやつ

同じ壁画ですが、東西で技法が異なるそうです。
●フレスコ画:
 漆喰が乾かないうちに絵具(水性)で描き、漆喰に染み込ませる。
●キトラ古墳壁画:
 漆喰が乾いてから顔料絵具で描く。

つまり、インクジェットプリンタの「染料タイプ」と「顔料タイプ」のちがい、みたいな感じですかね。
フレスコ画は絵具が壁に染み込むことで堅牢性が高まりますが、古墳壁画はやはりもろそうな感じではあります。

さらに、キトラ古墳壁画のデッサン法にも注目。
まず下絵を紙に描き、赤い紙をはさんで壁にあてがい、上からなぞります。ちょうどカーボン紙で写し取るのと同じ要領で、壁面に下絵ができるわけ。
今回の展示室では、見やすいようにレプリカが置いてあるので、じっくり見てください。輪郭線に沿ってなぞった跡が見られます。下絵をなぞった時にできた溝だそうです。

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精巧なレプリカで細部がわかる

3.古い古墳、新しい古墳?

さて、話題のキトラ古墳ですが、私は前から疑問がありました。
先週は、大阪・河内の古墳群を歩いてきたのですが、応神天皇陵とか、奈良の箸墓古墳とか、ああいう代表的な古墳を見ると、こんな感じですよね。


古市古墳群の地図(「百舌鳥・古市古墳群ホームページ」から引用)

これを見ると、それぞれの古墳の向きがバラバラ。つまり方角は気にせず造られた。
そこいくと、キトラ古墳は、ご存じのとおり、東西南北きっちり調整してあって、方角が重要視されている。

同じ古墳でも、ぜんぜん違いますよね。

そのへんを、キトラ古墳事業に携わる建石徹さん(文化庁古墳壁画室)に聞いてみると、いたってシンプルなお答えが返ってきました。

「(キトラ古墳は)古墳時代の古墳とはちがうんです」

言われてみれば、そうですよね。頭でわかっていたつもりだけど、これで実感がわきました。古墳は、古墳時代だけのものではないってこと。
古代日本、弥生時代から古墳時代を経て、仏教が入ってきて蘇我馬子だ聖徳太子だって時代があって日本がどんどん変わってくんだけど、ずっと古墳は造られていた。

キトラ古墳は、そうした時代の最末期、奈良に藤原京という都が建設された時代(白鳳時代)に当たる。聖徳太子が亡くなって70年以上経ってます。
そのころは遣隋使や遣唐使で中国の文化思想が入っていて、中国の陰陽五行説が時代のトレンドだった。これが風水みたいに方角をすごく重視するので、古墳の作りもこれに倣ったというわけ。

ばかでかい古墳造りを規制する「薄葬令」が出たのが大化2年(646)。そのころはもう、墳丘の威容で権力を示す必要がなくなり、こぢんまりした「モダン古墳」が出てきたようです。

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キトラ古墳はこんな形(円墳)だったそうです

ぼくが子供のころからあこがれた飛鳥の世界は、仏教文化が始まった土地ですが、埋葬にはやっぱり「古墳」が必要だった。

現代人の感覚だと、「お寺=墓地」と思いがちです。
ぼくも子供のころから、「なんでお寺を造った蘇我馬子が寺じゃなくて石舞台古墳に入ってるの?」と、じつに素朴な疑問をもっていました。
その答えがわかったのは大人になってから。お寺はそもそも、祈願所であり、学問機関であって、お墓は無かった(今も奈良あたりの古寺などはそうですね)。
むしろ、重大な穢れである「死」は、遠ざけるべきものだった。神道と同じ「穢れ」を避ける意識ですね。

だから、蘇我馬子さんはお寺を造ったけど死んだら古墳に入ったんですね。

キトラ古墳は、すでに仏教文化華やかな時代に造られたお墓で、都である藤原京の真南に位置しています。その位置関係から、朝廷に関連する重要な人が葬られていただろうとのこと。ここでも風水(陰陽五行説)的な考え方が見受けられますね。

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展示室入口の航空写真。これがイメージを掻き立てます


そんなわけで、今回の展示では、時代が飛鳥から奈良に移り変わるころの、白鳳時代のようすを想像しながら、壁画に向き合うと、より実感が湧いてくるんじゃないでしょうか。

最後に、「馬子と石舞台」というタイトルの一曲をどうぞ。
 ♪彼もまた 古墳に眠る・・・
子供の頃の素朴な疑問を歌にした、オリジナルの古代史ロックであります!


長文おつきあいありがとうございました。


「特別展 キトラ古墳壁画」
 2014年4月22日(火)〜5月18日(日)
 東京国立博物館 本館 特別5室
 http://kitora2014.jp
 
 
posted by 宮澤やすみ at 18:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | 美術展・展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

結局ルネサンスって何?「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館展」レポート

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」が開催されています。
(写真は報道内覧会で特別に許可を得て撮影。会期中は撮影禁止です)

ミラノの貴族、ポルディ・ペッツォーリ家はたくさんの美術品を所蔵してるんですけど、ミラノ市内の邸宅が今では美術館になっています(ミラノ中心部にあって、スカラ座やガレリアもすぐ。旅のとき知ってれば行ったのにな〜)。いわゆるプライベート・ミュージアムというやつですね。
そのコレクションが東京に集まりました(その後大阪へ)。

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部屋の写真を交えて邸宅にいるような気分に

今回は、14世紀から19世紀までの作品が部屋毎に展示されていて、わかりやすくヨーロッパ美術を概観できる流れになっていました。

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展示の目玉「貴婦人の肖像」の横であいさつされている、美術館館長アンナリーザ・ザンニさん


ボッティチェリと運慶

いろいろ見どころありますけど、まずはボッティチェリの晩年の作「死せるキリストへの哀悼」にご注目。
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ちゃんとした画像は公式サイトにあります。でも実物を感じるのがいいですよ

ボッティチェリというと、森の中でカミ様たちが集まってる「プリマヴェーラ(春)」とか、ホタテの上に裸の女が立ってる「ヴィーナスの誕生」とかが有名ですけど、今回の作品には、あんなに派手で明るい感じとはちがう、重厚で深刻な感じがただよってます。
この時代、ボッティチェリさんはメディチ家から離れて、ミラノのカリスマ修道士さんにかなり感化されてキリスト教にかなり深く入れ込んでいたんだそうです。

ぼくのブログは、仏像好きな方が多く読まれていると思うのですが、たとえて言うと、運慶の晩年作「無著(むちゃく)」みたいなんですよね(たとえがわかりづらくてゴメン)
ようするに、どちらも若いころは新進気鋭の作家として新様式を打ち出してきたけど、次第に老境に達して、派手さは無いけど深い精神性に裏打ちされた深みといいますか、枯れた味わいが出て、作風にもそれが表れてくるという感じ。

ボッティチェリはルネサンス初期の代表的画家。ルネサンス美術というのは、「古代の復興」と「人間中心主義」ということだそうです。
つまり、古代ギリシャ、ローマのころは、人体こそ究極の美、と捉えていたようで、写実的な人体造形が主流だった。その美意識を復興したのがルネサンス。今回話題の「貴婦人の肖像」も、真横からの肖像画は古代ローマの貨幣とかでよく描かれた題材です。

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「貴婦人の肖像」ピエロ・デル・ポッライウォーロ1470年頃

だから、描く題材の選び方も変わります。それまではマリア像や聖人などキリスト教一辺倒だったのが、古代の神話世界を題材に描くことも増えてきたわけです。

ボッティチェリさんは、ヴィーナスなど古代神話をテーマに、キリスト教以外の世界を描いて、ルネサンス初期の美術シーンを引っ張ってきた。
それってきっと、絵画はキリスト教世界を描くものだ!という「世の常識」から外れたアウトローでパンクな立場だったのかもしれない(笑)。だけどそれが、最後の最後でコテコテのキリスト教絵画にたどり着いちゃった。
彼もいろんな経験を経て、丸くなったんですかね(それとも固くなったのか)。

まあ実際のところは、古代神話も描きつつキリスト教絵画も同時進行で仕事してたんでしょうけど、作風の重さは変わってますよね。

ぼくは日頃、仏像を通して宗教美術に接しているのですが、作家と宗教の関係性というのがちょっと気になるもので、この件でいろいろ思いがめぐるのであります。

ぼくは、ボッティチェリを見ながら、運慶のことを考えていたのでした。
運慶は仏像界の「ルネサンス」である、と日頃の宮澤やすみ講座やツアーで申し上げてますけど、運慶も古典(=天平)の復興が目的でしたからね。あと人体の肉付きを仏像造りに取り入れ、写実的な造形を作ったこともあります。
彼も晩年には僧として高い位を得ていますが、若い血気盛んなころはどういう気持ちで仏像を彫ってたんでしょうかね。


中世の魅力爆発!

ルネサンスのことさんざん書きましたけど、個人的な趣味は、ルネサンス以前の中世キリスト教美術が大好きなのであります!
前の記事では「貴婦人と一角獣展」のこと書いたけど、あれもよかった!

キリスト教(カトリック)の強大な力のもと、ヘタウマなマンガみたいな聖人を描いていた中世の美術界(笑)。時代は魔女裁判にペストに拷問。あのダークな世界に惹かれちゃうんですなあ。

今回、そうした時代の作品もありました。

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「三連祭壇画」ベルナルド・ダッディ 1340-1350年
周囲に受胎告知、キリスト降誕、受難のシーンが描かれる


展示品は、さすが貴族の美意識か、お顔立ちがきれい。でもイタリアやスイスの古い教会に行くと、時代を経てホゲホゲに剥げかけた聖人の壁画や、ブスッとした顔のマリアさんがいますが、それがたまらなくイイ!
べつに写実とか上手な絵だけが価値じゃないからね。

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あと今回の展示では、ヨーロッパの甲冑もありました。これもゾクゾクします。


そんなわけで、ヨーロッパ美術の基本を押さえた、西洋美術の初心者でも充分楽しめる展示になっています。
仏像好きな人にもぜひ行ってほしいです。ボッティチェリより運慶のほうが300年くらい古いから、時代を差し引いて比較すると面白いんじゃないかと。
「この作品、仏像で言うと三十三間堂のアレかな・・・」みたいに置き換えて比較してみるのです。

ほかにもラファエロの初期作や、ダ・ヴィンチの彫像作品(断片)もあるし、日本人は本当にルネサンスがお好きなんですね、と思う展示です。
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「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館所蔵 華麗なる貴族コレクション展」
 4/4〜5/25 BUNKAMURAザ・ミュージアム
 5/31〜7/21 あべのハルカス美術館にて
 http://www.poldi2014.com/


最後に、今回の私的一番のお気に入りはこれ。タイトルは「聖女」だけど、モデルは近所の女の子でしょ〜(笑)
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「聖女の肖像」フランチェスコ・ボンシニョーリ 1505-1510年

 
最後の最後に、夏にこんな講座やらせていただきます。よかったら。

■7月27日 西洋キリスト教美術の魅力〜仏教美術との比較から〜
新宿クラブツーリズムにて




posted by 宮澤やすみ at 18:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 美術展・展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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