2010年02月28日

「逢魔時」舞踏と音の競演

大津波と真央ちゃんキムヨナでそれどころじゃない今日この頃ですが、
本ブログ、アート系記事が続きます。

先日行ってきた、舞踏と音響のパフォーマンス「逢魔時(おうまがとき)」の公演観てきました。
舞踏家のazumaru(東丸)と音響家のtakuya(寿島宅弥)に、演出:松下千暁が加わったユニットです。

azu-maru.jpg
撮影:松下千暁


この演目は今回三回めの公演で、毎回趣向が変わります。
三回とも観ましたが、今回が一番よかったんじゃないかと思います。

映画エイリアンでいうと「ド派手なエイリアン2もいいけどエイリアン3も深みがあって好き」みたいな感じ(笑)

一見シンプルでじつに深い江戸前寿司のような印象。

といっても、わけわかんないよね。

メンバー3者が自分の仕事をきっちりこなして、決して邪魔せずお互いに引き立てあってました。

余計なものを削ぎ落として、
「オレたちが表現したいものはそもそも何なんだ」というところを徹底的に洗い出したように思います。
そのぶん、見ている側にも伝わるものが多かった。

見ているうちにストーリー的なものが勝手に自分の脳内で創り上げられるのですが、これも
メンバーの演技によって「創り上げさせられている」わけです。
観る人それぞれの解釈で、たしかに興味深いストーリーが展開されていくのです。

舞踏家のazumaruは、いつもよりボディが引き締まっているよう。
それでいて、今まで以上に肉体を酷使するパワフルな演技。
そして、白塗りをせず素のまんまの肉体をさらけ出し、より生々しくAzumaruという一人の男の存在を感じます。
挫折を含め数々の体験が創り上げたAzumaru自身の心と身体が、演技の深みを感じさせて、
これまで肉体の美しさが際立って印象的だったのに比べて、今回は肉体の奥にある精神性を強く感じさせるように思いました。
それは伝統的な舞踏の範疇を超えていて、いわばたんなるダンサーというより演技者としてのAzumaruがそこにいました。

Azumaruと絡む「演者」がエレキギター。この楽器は、
「放っておくと際限なく音を発し続ける」という点でほかの楽器とまったく異なる特徴をもっています。
この特性がうまく発揮されて、意図せざる音がAzumaruの演技にアクセントをもたらします。
偶然にまかせるだけでなく、これを上手にコントロールするのが、音響を担当するtakuyaの技。
手を入れすぎず最大限の効果をもたらす、絶妙な「音響芸」は今までより磨きがかかっていました。

Azumaruとtakuya2人の表現を、高度な完成品に引き揚げたのは、演出した松下千暁の功績が大きいんじゃないかと推測します。
観客にちゃんと「伝わる」表現というのは、第三者の眼が必要不可欠です。
きっと3人でいろんな意見交換をしたんでしょう。本番では照明を担当。
波打つシルエット、動きにシンクロした暗転など、これも非常に効果的でした。

これからが楽しみなユニットです。
2005年、彼らと共演できたことを誇りに思います。

ブログ内記事:
 音と舞踏パフォーマンス 「逢魔時」初演の写真レポ

関連サイト:
 宮澤やすみの神楽坂ニッポンライブ
  2009年、小唄ライブと舞踏。ありえないコラボ(笑)
 宮澤やすみ 舞踏+ボディペインティング
  2005年のコラボ出演。みんな若かった?
 
 
タグ:アート 東京
posted by 宮澤やすみ at 17:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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